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4月, 2015の投稿を表示しています

想像力の危機

人間の未知に対する想像力の危機。新しいものを手繰り寄せるメカニズムを失いつつある。

いま、限界が来ているのは今世紀の産業主義

経済活動は文化という土壌と不可分。今世紀の産業主義は、それを技術の次元に還元し、文化から切りはなそうとした。 その限界地点で、ようやく、欲望を産業技術のフロンティアの奴隷にすることから解放されようとしている。 欲望を文化的イマジネーションの世界へ取り戻せる。

資本主義と市場経済は違う

経済学者は市場経済の合理的メカニズムを見出だした。しかし、これは資本主義には当てはまらない。資本主義と市場経済は違う。 盲目的拡張、おわりなき発展は合理的には分析出来ない。 よく、経済学者が市場経済の分析から資本主義を語ることは多いが、議論は分けて考える必要はある。

古賀さん、ニュースステーション降板?

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忙しくて気づきませんでしたが、面白いこと起きてたんだぁ。それにしても古賀さん面白いなぁ。 まず、古賀さんの議論の中身については共感することを前提として、、。 番組降板は古賀さんの勘違いな気がする。一応、作り物でもある番組だから作り手である放送局側の意図は(意図の良い悪いや古賀さんの理屈とは別に)あるだろうし、生放送ということもあり、電波の公共性を考えた場合、個人的な事や、言論の自由を盾に勝手に発言しそうな人は責任者にとっては、危なっかしくて使えないというのは当然あると思う。 ただ、古賀さんの主張は、それこそが言論の自由を主張すべきメディアが政府と結託して行う言論弾圧の裏ロジックだと。 でも、電波の公共性とか言論の自由の前に、放送局も古賀さんも番組作りしている以上ビジネスだしね。政府からの圧力があったとしても、究極的には、電波利権を維持するための放送局側視点のビジネスでしょ。テレビということで降ろされることを、いちいち言論の自由を盾に取り止めてくれるならそんな有り難い話はないよね。(なんかそういう感じになってきているのは気になるが) だから、古賀さんは、ビジネス的には儲からない、面白くない、もしくは、仕事を一緒にしにくいから降板ということでしょ。古賀さんが出なくなったことで番組の視聴率が下がるなら、プロデューサー失脚というだけの話。放送局の方向性が良いかどうかは別問題として。 気になるのは、古賀さんは番組中に降板理由として、無視できない弾圧であったかのような言い方と、その証拠があるようなことを言っていたこと。その中身によっては話は変わってくることもあるけども。。。 この手の話を聞く度に思うのは、ブラック企業批判でも思うけど、なんで文句言いながらやってるの?ということ。 古賀さんの場合なら、番組に出なきゃいいと思っちゃう。自分の主張があれば、自分自身で発言すればいいし、ネットもあるし発言の場はたくさんある。せっかく良いこと言ってるのに、どうしても子供っぽく見えちゃうのが残念。 古賀さんのコメントの最後に、ガンジーの言葉を引用していた。 「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。 そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、 世界によって自分が変